一日一善

人材開発部の山下賢二です。

一日一善とは、一日にひとつのよい行いをしましょう!
という意味があるのは皆さんご存じだと思います。
そして、それを日々積み重ねていきましょう!という呼びかけでもあります。

余談ですが、私が大学時代に彼女と家の近くを歩いていた時、鉄筋が飛び出した大きなコンクリート片が危険な状態で歩道の真ん中に落ちているという場面に遭遇しました。
これを放置しておいて、誰かが気付かずに自転車で乗り上げたりしようものなら大事故になると思い、誰も立ち入らないであろう歩道脇の草むら?に寄せるべく放り投げました。
その際、鉄筋の切れ端が私の手を鋭くカットし、私は激しく流血(笑)
そのあとすぐ病院へ直行し、即座に何針か縫われました。今でも私の左手小指の付け根にその時の傷跡が残っています(笑)
「善意とはいえ、余計なことしなかったらよかったなぁ」
などとは微塵も思いませんでした。
それは、偽善じゃなくて紛れもない真実です(笑)

ということで?
いつから始めたのか定かではないのですが、私は「一日一善」を今でも毎日実践しています。

今日はコンビニの店内に落ちていた透明の包装紙らしきものを拾ってゴミ箱に捨てました。

「えっ?その程度のこと?(笑)」
と思われるかも知れませんが、そんなレベルのことです。

私が外でほぼ毎日やっているのはゴミ拾いです。これは毎日必ずできます。
積極的に集めに行くわけではないです(^_^;)
歩いていて道路に転がったりしているペットボトルを拾ってゴミ箱に捨てるぐらいのことです。

あと、会社内で心掛けているのは冷蔵庫に入っているペットボトルのお茶が残り少なくなってきたら補充したり、トイレのハンドタオルやトイレットペーパーの補充したりとかですかねぇ。
次に利用される方が困らないようにしておくという意味では、まぁ当たり前っちゃ当たり前の行為なので、「一日一善」なんて言えるレベルの行為ではないのですが(^_^;)

困っている人がいたら助けるとか、ごくごく当たり前のことでもあるのですが。。。

と、そんなことを続けているとですね、
なぜだかわかりませんが、自分の頭や心に余裕が生まれてくるような気がするんです。
具体的には「どんな小さなことであったとしても、自分に出来ることは自分が思っている以上にたくさんあるのかもしれない」というように思えてきたりもします。
街を少し歩くだけで、道に迷っている人に気がついたり、落とし物をした人にパッと気がついたり、自分に出来る事が自然と目に入って来るようになったりします。
ちょっとした「意識の違い」でこんなにも様々なことに「気付く」ことができるものなのか、と実感できるようになるはずです。
私は、ほんの少し意識を変化させることで、大きな変化を生むことができると考えています。

ひとりひとりが意識することでそれが周りに伝わり、周りからさらにもっともっと大きく広がっていく。

そう考えると、どんな些細なことでもいいから、さらにいえばたとえそれがただの自己満足であったとしても全然かまわないので、なにか行動を起こしたいと思えませんか?

そしてその行いは、いつか必ずかたちを変えて自分に跳ね返ってくるものだと私は信じています。

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